邦題 捏造された聖書 に ついての感想

本書はあとがきにもあるようにパート.D・アーマン著『イエスの誤引用l聖書を改変した人々とその理由の背後にある物語』)の全訳です。邦題は『握造された聖書』と、ややスキャンダラスで陰謀論的な香りのするものになりましたが、一読された方にはお判りの通り、内容は実に健全かつ学術的で、スタンダードな現代聖書学の成果を解りやすく伝えるものになっています


邦題は『握造された聖書』とありますが売るための出版社のネーミングかと思いますが 聖書を100パーセント神の言葉と考えていた自分や協会の聖書は本当に神の言葉ですかなどの本で高等批評が偽りの友で聖書に対する知的攻撃と教わった自分にとっては 懐疑的な気持ちで読み始めました とくに最初のほうは著者の書き方か翻訳者のくせなのかちょっとわるのりしているような感じで好感の持てる書き方ではありませんでした  しかし17ページの「アビァタルが大祭司であったとき、ダヴイデは神の家に入り、祭司のほかには誰も食べてはならない供えのパンを食べたではないか」。この一節に重大な問題があることはよく知られている。というのも、ここでイエスが引用している旧約聖書の一節(『サムエル記上』一二章一’六)を見ると、ダヴィデがこれを行なったときの大祭司はアビァタルではなく、その父親のアヒメレクなのだ。つまり言い換えるなら、これは聖書といえども決して無謬ではなく、なかには間違った箇所もあるということを如実に示す一節だということだ。 というところを読んだときガーンとかなづちで頭をなぐられたようなショックを感じあとは一気に読みました






それで 読後の感想は 残念ながら現在私たちが手にしている聖書は最初に書かれた通りではない部分がある程度含まれているということを認める必要があるということを理解できて大変よかったです「自分的には今までは聖書は99.9パーセント正しいと考えていて矛盾と思える部分ががあったとしても何か合理的な説明があるのだと思っていました」でも決して聖書に対する信仰が揺らいだという意味ではなく 創造者なる神がおられることやイエスキリストによって救いがもたらされるなどという大筋には変化はありません ただ細かい言葉にとらわれないで「変わってる可能性がある」文脈が全体的に何をいわんとしているのかということを考えながら読む大切さを感じるようになりました また現存する聖書は神が許容する範囲で間違いを含んで存在していると考えるようになりました あとオマケで新世界訳の新約聖書の本文に使われているウエストコットとホートが大変よい仕事をしたとこの本でほめられていましたのでなんとなくうれしかったです 聖書に関心のある方全てが一読されることをオススメします

あとこの方のサイトも大変参考になりましたhttp://www.j-world.com/usr/sakura/bible/abiathar.html

アビアタルとアヒメレクを取り違えたマルコ

--- 不正確なマルコの聖書知識 ---

佐倉 哲