クリスチャンの結婚について 

協会はエホバの証人だけが真のクリスチャンなので結婚する相手は聖書の(コリント第一 7:39) …ただし主にある[者と]だけです…にのっとって エホバの証人の異性としか結婚できないといっていますが真実でしょうか
まず エホバの証人だけが真のクリスチャンかどうかは 指導者である統治体がエルサレムの滅びが前607年でないことを知っていてそれにもとづく偽りの1914年の教えを信者に信じるように強制し信者も受け入れているのですから 残念ながら共に真のクリスチャンではないと思いますので 上記の聖句をもとに行動しようとしまいと 意味のないことだと思います 

しかし 聖書がクリスチャンの結婚についてどうのべているのかという点については大いに関心のあるところですので自分の考えを述べたいと思います 上記の聖句や(コリント第二 6:14) …不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません…などを根拠としてクリスチャンがノンクリスチャンと結婚してはならないという 教えはものみの塔だけでなく他のキリスト教会なども教えているところもありますが「結婚してもよいという教会もある」 まず(コリント第二 6:14) …不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません は文脈をみれば特別結婚についての規則を述べている部分ではないので除外するとして (コリント第一 7:39) …ただし主にある[者と]だけ...はどういう意味でしょうか これについては ネットに良いと思う情報がありましたので下記にのせておきます

http://d.hatena.ne.jp/pyubible/20130525/1369441065

 エホバの証人は、聖書の中の「主にあるものと結婚しなさい(コリント第一7:39)と書かれている部分を、主にあるものと結婚するという規則だと考えている人が非常に多いけれど、これは訳としても、ルールとしても、どちらも間違っている可能性が高いと思います。

 エホバの証人の現実としては、エホバの証人でない人と結婚したとすると、冷たい目で見られます。そして、特権を取り上げられるという懲罰があります。それは、この聖句が元になっていますが、訳としても、解釈としても、いくつかの問題があります。

 もともとの原義としてはこの部分は「主にあって」と訳します。つまり「主にあるものと結婚」というよりは、「あなたが主の元にい続けて、結婚しなさい」という意味の可能性が高いです。

 この部分の聖句は一般的な人に向けられて書かれた聖句ではなくって、やもめに関して書かれた聖句です。つまり、男にめとられると、その宗教にやもめが変わってしまうという文化や習慣が強くあるために、パウロはやもめに対して「結婚した後も、あなたはイエス・キリスト信仰し続けなさい」といっていると解釈することができます。

 原文を直訳すると「けれども夫がもし死ねば、ただ主のもとにあって、欲するままに結婚する自由を得ます。」となるそうです。

コリント第一7章39節は「けれども夫がもし死ねば、ただ主のもとにあって、欲するままに結婚する自由を得ます。」と訳すことができる。

 新世界訳聖書のこの部分は変だなぁ、変だなぁと思っていたのですが、やっと自分の中で決着がつきました。だれと結婚するかについて、この部分以外に、聖書が結婚の規則を定めたようなものがないということは知っていたのに、この部分でだけ規則のようなものをパウロが定めているからです。またパウロが、やもめに語っているのに、ものみの塔協会が、エホバの証人全員に求めてきたからです。

 だから、インターネットでこの聖句を調べているうちに、訳に問題があって、意味が違うかもしれないということに思い当たりました。すると、僕の思っていたとおり、複数の訳の可能性がありました。

 つまりポイントは「結婚相手がイエス・キリストを信仰しているか」ではなくて「やもめ自身がイエス・キリストへの信仰を保ち続けることができるか」ということです。



それで そもそもエホバの証人を含むそれぞれのキリスト教が自分たちこそ真のクリスチャンで他のものは偽クリスチャンだといっていますのでクリスチャン同士の結婚とは一体だれのことをさすのかと 最も基本的なことすらわからないというのが現実だと思いますので 上記の つまりポイントは「結婚相手がイエス・キリストを信仰しているか」ではなくて「やもめ自身がイエス・キリストへの信仰を保ち続けることができるか」ということ と 述べているように当人の信じる心が保てると思う相手と結婚したほうがいいよという パウロの提案と考えるのが自然だと思います 気になってティンデルの聖書注解も調べてみましたが やはりそのような意味のことが書かれていました





つまり結婚も (コリント第一 10:31)ですから,あなた方は,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい… という意味と同じことだと思います

黒崎聖書注解というサイトにも同じ意味のことが書かれていました
http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?46+7+5-4

7章39節 つまをっとけるうちつながるるなり。れどをっともしなば、ほっするままにとつ自由じいうべし、[引照]

口語訳 妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。
塚本訳 妻は夫が生きている間は、(夫に)束縛されている。しかしもし夫が眠ったなら、望みの人と結婚することは自由である。ただ主にあって(信者とだけ)すべきである。
前田訳 妻は夫が生きている間、縛られます。もし夫が永眠すれば、自らの欲する人と結婚する自由があります。ただ、主にあってそうすべきです。
新共同 妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。
NIV A woman is bound to her husband as long as he lives. But if her husband dies, she is free to marry anyone she wishes, but he must belong to the Lord.
註解: 当時妻を失える男子の再婚は当然認められて居つたけれども、夫を失える女子の場合は再婚せざるを以つて優れたる道徳と見て居つた。パウロは男女の間に差別を置かずして、夫の死後は再婚の権を認めて居る。

ただしゅにある]ものにのみくべし]。

註解: 原語は「ただ主に在りて」とあり、故に全文を直訳すれは「然れど夫もし死なば唯主に在りて欲するままに嫁ぐ自由を得べし」と訳すべきである。之を「唯主にある者にのみ適くべし」と解する者と、「主に在るものとして主の心に従つて結婚すべし」と解する者とがある。予は後者を優れりと思う。其故は一旦「欲するままに」と云いて後、之を肉の思の赴くがままにと解すべきでは無い事を示さんが為めに「唯主に在りて」との制限を与えたものと見るべきであつて、信者のみと結婚すべしとの規則を与えたものと見るべきでは無い。但し主の御旨に従つて結婚し自己の肉の思によらざる場合には「主に在るものに適く」場合が普通であろう。

協会の執筆部門も 聖書の注解書をよく参考にしていると良心の危機に書かれており この聖句の本当の意味もとっくの昔に知っていると思いますが



それでもなおかつエホバの証人とだけしか結婚してはいけない「男女比が違うため物理的に結婚できない人が多い」 ハルマゲドンまで結婚しないほうがいいとか いうのはかなり
(テモテ第一 4:3) …そうした人たちは結婚することを禁じたり,命令したりします…に近いものがあると思います