協会の文書における不誠実さ「しらなかった まちがい」 ではなくわかっていて行っている悪質なウソの例

(ヨハネ 9:40, 41) …パリサイ人のうち[イエス]と一緒にいた者たちがこれらのことを聞いて,彼に言った,「わたしたちも盲目であるというわけではないでしょうね」。41 イエスは彼らに言われた,「あなた方が盲目であったなら,あなた方には罪がなかったでしょう。しかしあなた方は今,『わたしたちは見える』と言います。あなた方の罪は残るのです」。

(ヨハネ 8:44) …真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです…

ネットをみると協会の出版物に引用されている協会以外からの本や人物の言葉などがそれらが本来主張していることとは違う意味で協会に都合のよいように引用されているという 批判も多いようですが

一例 進化と創造の本について http://www.jwic.info/life_1.htm

*** 創 9 1 生命―それはどのようにして始まったか ***
また,最もよく知られた,進化論の唱道者チャールズ・ダーウィンでさえ,自分の説の限界に気づいていたことを示しており,それも注目すべき点です。「種の起源」の結びの中で,ダーウィンは,「幾つもの機能を持つ生命が,当初は創造者によって幾つかの,もしくは一つの形態の中に吹き込まれた」とする壮大な見方について記し,こうして,起源の問題がさらに検討されるべきものであることを明らかにしていました。3

ここでは、最初の『創造』の本の引用の欺瞞が示されている。ダーウィンはどのような前後関係で上の言葉を述べたのだろうか。この引用は「種の起源」の一番最後の段落であり、岩波文庫からその部分を引用し、『創造』の本の引用した部分を下線で示す。

 いろいろな種類の多数の植物によっておおわれ、茂みに鳥は歌い、さまざまな昆虫がひらひら舞い、湿った土中を蟻虫ははいまわる、そのような雑踏した堤を熟視し、相互にかくも異なり、相互にかくも複雑にもたれあった、これらの精妙につくられた生物たちが、すべて、われわれの周囲で作用しつつある法則によって生みだされたものであることを熟考するのは、興味ふかい。 これらの法則は、もっともひろい意味にとれば〈生殖〉をともなう〈成長〉、ほとんど生殖のなかに含まれるとしてもよい〈遺伝〉、生活の外的条件の間接および直接の作用によって生じる、また用不用によって生じる〈変異性〉、〈生存闘争〉を生じさせまたその結果として〈自然選択〉をおこさせ、〈形質の分岐〉と改良の劣った種類の〈絶滅〉とを随伴する、高い〈増加率〉である。このようにして、自然のたたかいから、すなわち飢餓と死から、われわれの考えうる最高のことがら、つまり高等動物の産出ということが、直接結果されるのである。生命はそのあまたの力とともに、最初わずかのものあるいはただ一個のものに、〈造物主〉によって吹きこまれたとするこの見かた、そして、この惑星が確固たる重力法則に従って回転するあいだに、かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、いまも生じつつあるというこの見かたのなかには、壮大なものがある。

ダーウィン著・八杉龍一訳 進化論(下)岩波文庫261頁

ここで前後関係を読めば直ぐにわかるように、ダーウィンは確かに「創造者」あるいは「造物主」という言葉を使ってはいるが、決して生命が創造者によって吹き込まれたことが壮大な見方であると言っているのではなく、彼の「種の起源」で論じた進化の現象を要約して、「かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、いまも生じつつある」その現象が壮大であると言っているのである。もちろんダーウィンはこの19世紀半ばの時代には、他のほとんど全ての人と同じように「創造者」の存在は信じていたわけで、彼のこの言葉は、彼の進化の理論がいかに創造者の存在と調和していると考えていたかを示すものに過ぎない。彼は創造者が造った「単純な発端」から生命の幾つもの機能が発展してきたことを壮大であると感動しているのである。この前後関係には『創造』の本が述べるような、ダーウィンが「自分の説の限界に気づいていた」ことを示す言葉は一切語られていないし、彼が「創造者によって・・・吹き込まれた」ことが壮大であると言っているのでもない。

と 上記のように書いてありましたので 自分も直接本を調べてみました 以下がそれです これをみてどちらの主張が正しいのかご自分の頭で判断してください