私がまだ協会をやめる前に協会に手紙を書いて質問したことの協会からの返事から感じたことです

2011/10/1のものみの塔に古代エルサレムが滅ぼされたのはいつかという記事がのりましたが その中でバビロンの歴代の王の支配年数を示した以下の表があったのをみなさんも覚えておられると思いますが この中のポリュヒストルについては以下のように資料が非常に少ないとの情報もありますので除外するとして
しかしものみの塔が読者に伝えていない点があります。ポリュヒストルはヨセフスやエウセビウスによる引用という形で断片が残っているにすぎないことを伝えるべきでしょう。またヨセフスは「アピオーンへの反論」の1章21節の中で、ネブカドネザルの第18年からエルサレムの神殿が荒廃していた期間が50年間であったと述べており、プトレマイオスやベロッソスと一致している証言をしていることも伝えるべきです。どの年数が正しいかを確認するのは難しいことではありません。
この比較表に記載されていない多数の「バビロニア年代記」の碑文、あるいは粘土板の記録と比較すればプトレマイオスやベロッソスの年数が正しいということは一目瞭然だからです。

http://www.jwstudy.com/ja/bc607_1914/special1_wt2011_10/



ヨセフスについては以前ユダヤ戦記なども読んだこともありましたのでどこに書かれているのか確かめようと思い図書館でしらべてみましたが 自分の見たヨセスフアピオーンへの反論 ヨセフス著 の中では上記の表のベロッソスとプトレマイオスと同じ年代しか出ていなかっのでその部分のコピーと一緒に以下のように協会に質問してみました

243-0496

神奈川県海老名市中新田4-7-1

ものみの塔聖書冊子協会 様

 

 

 

親愛なる兄弟たち いつも熱心な奉仕ありがとうございます

ところで ものみの塔2011101日号29ページの下の方に

新バビロニアの王の統治期間の古代の歴史家たちの一覧表がでていましたが

そのうち ヨセフス のところで アメル.マルドゥク18年 ネルグリッサル40年とでていましたが 

図書館で ヨセフス著のアピオーンへの反論をみましたが その91ページからは

アメル.マルドゥク2年 ネルグリッサル4年 とかかれていましたが 

ものみの塔に出ていた年代はヨセフスの書いた本のどこにでていたのでしょうか教えてください

 

以上よろしくお願いいたします 

 

 大多哲成「オオタテツナリ」

920-0016 石川県金沢市諸江町中丁233-1 

電話076-221-1385 フアックス076-221-1388 携帯090-8261-6001

 

以下は協会に送ったアピオーンへの反論のコピーです


 以下は協会からの返事の手紙です

つまり 協会の表に出したのは ユダヤ古代誌IX-X」にでているけど同じくヨセフスの 『アピオーンヘの反論』Iでは「二年」と「四年」になっているよ とのことです 
でも ということは協会はヨセフスの書いた本の中では一応「二年」と「四年」という記述があることを知っているわけで
その上で 自分たちに都合のよいところだけものみの塔に書いて 信者さんに バビロンの王の支配年表は信用できないよと間違った考えを持ってもらおうとしているような気がしました せめてこの表の注釈にヨセフスは別のところでこうもいっていますとつけてほしかったです

もし協会がわたしがやめたあと 出版物で いやーみんなごめんね ほかにもこんな記述もあったよ という 訂正の記事が出ていたのでしたら 教えてください

あともうひとつアピオーンヘの反論の92ページには
これらの証言は、真実という点において、わたしたちの〔聖なる〕書物の証言と一致している。
なぜなら、ナブーコドノソロスがその治世の十八年目に、わたしたちの聖所を躁踊したこと、
以後五十年間〔聖所はわたしたちに〕欠けていたこと、そしてキュロス
の治世の二年目にその基礎がおかれ、ダレイオスの治世の二年目に聖所は再び完成したこ
とが〔ベーローソスによって〕書かれているからである。とあり 
エルサレムの滅びが前587年であればぴったり一致します このことも当然協会は知っているわけですがこうしたことは一切信者さんには言わないのです

以前の出版物にうそではないものの ある情報の一部だけを相手に伝えてまちがった考えを持つようにさせるのは正しいことですかとか インフォームドコンセント「全部の情報を知らせて相手がその上で判断するようにさせる」が大切だといっていたのに 残念です