岩村義男 カヨ子 さんは もと エホバの証人で神戸で 長老 また夫婦で開拓者として奉仕しておられた方で
模範的な人としてものみの塔 1987年2/1 15ベージ に夫婦で姫路城公園で奉仕している写真が 掲載されています

多分現在はこの方だと思いますhttp://kisokobe.com/kicc/katekism/

フランズ 会長との 写真 

夫の岩村義男さんは 以下のように述べています エホバの証人 異端からの回心 より

奥さんの 岩村カヨ子 さんは 大会などで話をする わりあてをうけるために プレゼントする人もいること 証言する ビデオを見たい方はヘブンズフラワーメール 原田さんまでお問い合わせくださいhttp://plaza.rakuten.co.jp/jwtofreedom/

以下は 岩村 義男 さんの エホバの証人になってからやめるまでの当人のお話です 
古いので今では絶版となり手に入りにくいと思いますので 一部抜粋載せておきます
異端からの回心 岩村 義男 著
13年の奴隷時代を振り返って

1 入信への動機
26歳の時から13年間,私はエホバの証人として組織の奴隷だった。
礼儀正しく,きちんとした身なりで,ピンポーンと戸別訪問する彼ら。世
界のどこかで起こっている紛争,病気,飢えなどで家を失っている子どもの
報道を会話に織り込みながら,「こんな世界を神さまはどうして許しておら
れると思いますか」と尋ねられて,私は答えに詰まってしまった。
1975年夏,大阪の万博広場で行われた大会に出席。1万人近くの人たちが
ごみをきちんと整理し,クーラーのない会場で子どもたちが長時間プログラ
ムに真剣に耳を傾け,メモを取っている。その場所に出席した人なら,彼ら
の勤勉さ,非常に律義な言動,一糸の乱れもない組織行動に圧倒されるだろ
う。
私は思わず司会者に「子どもたちが何時間もおとなしくよく聞いています
ね」と言った。司会者とはマンツーマンで求道者を個人的に導く伝道者のこ
と。彼は早稲田大学在学中にトロンボーンの演奏に没頭している時に,ジャ
ズ愛好の仲間が次々とものみの塔に入信したのがきっかけで証人になったと
いう。芸術家肌の人は理想を追い求める傾向が強いようで,エホバの証人特
有のバラ色の楽園への勧誘にのめりこみやすいといえる。彼は1960年代後半
から神戸の垂水に特別開拓者として遣わされていた。
ちなみに神戸の垂水区は,戦後日本のエホバの証人の宣教のスタート地点
であり,横浜と並んで日本で人口に対して信者の密度の最も多い区域でもあ
る。30年以上のキャリア組もめずらしくない土地柄。
司会者は1970年代からD社のルートセールスで生計をまかない,長老とし
て神戸地方で用いられていた。彼は大様な性格で,どんなに攻撃的な質問を
しても,決して感情的にならず平静。
エホバの証人はアメリカ式のデイベートつまり論争に慣れており,「質
問」→「答え」の教理問答を得意とする。感性豊かな日本人は初め抵抗を感
じるが,3か月もすると型どおりなので慣れてしまう。あらゆる角度からの
あら捜しの質問をしても,彼はすべて文語訳聖書から答えようとした。ふさ
13年の奴隷時代を振り返って185
わしい聖句を見つけるためには,5分でも根気よく探した。当時はまだもの
みの塔独自の『新世界訳』日本語版(1982年完成)はなく文語訳聖書であっ
た。
今までに聞いたこともない将来の千年王国の預言を聖書から次々に示さ
れ,圧倒された。私は4か月で忠実なエホバの証人の兵士に仕立てあげられ
た。
次から次へと旧約・新約聖書を開く速さにも圧倒される。組織の最大の看
板は「聖書教育」。しかし実際はエホバの証人の信条の中心が聖書であると
いうのは偽り。キリスト教会から盗んだ教理で繕っているにすぎない。
バプテスマ(洗礼)を受けるまでの研究生(求道者の見習い期間)はま
ず,聖書から教理の裏づけを繰り返し覚えさせられる。反復がなされていく
うちに,組織は常に聖書から導くものだと信じ込んでしまう。目に見える親
切な行為一病気の世話,引っ越しの手伝い,未亡人への援助など情を揺さぶ
る行為も活発。いつしか,グループから離れると将来が不安とさえ思い込む
ようになる。組織に引きずり込むための連携プレーは実に見事。確信が定ま
らなくても学んだばかりの知識を,今度は人々に伝えるように巧みに促され
る。しどろもどろ宣く伝えても司会者(導き手)が横について手伝う。実践
の共同作業を通して,エホバの証人としてひとり立ちする前に,すでに弟子
を育てるテクニックも身につけさせられる。つまり,動物界と同様に本能的
に子どもを産み育てていく基本がしっかりと叩き込まれるわけである。
一度は聖書を読んでみたいと思っている家庭の主婦などは「無料でどこで
でも聖書を学べます」と話しかけられると,弱いものでつい彼らの勧めに応
じてしまう。世の中を悲観的に見る傾向の強い人々ほどターゲットにされや
すい。家の人が風邪をひいていると聞けば,この時とばかりと押しかける。
執勧なまでの親切の押し売りにたいていの人は情にほだされてしまう。子育
てに自信がない若い主婦も,無料の家庭聖書教育という殺し文句で迫られ,
まいってしまうのである。
実践とともに,思考回路も,組織の導きなしには聖書を理解することがで
きないロボットのようになっている。つまりいつしか,聖書より組織の指示
を重要視するようになるのである。組織の命令とあれば喜んで殉教もする。
たとえ迫害されても,永遠の命のために輸血拒否をするという信仰(?)は
18613年の奴隷時代を振り返って
バプテスマを受けるまでに確立。いったんエホバの証人として宣言すること
は,死ぬまで組織の奴隷になることの誓いを意味する。なぜなら組織からの
離脱は永遠の滅びだ,と繰り返しマインド・コントロールされるからであ
る。
2 開拓者時代
反対者であった妻カヨ子も,預かって育てている実の子ども以上に愛を注
いでいる4歳の子ども孝太のために仕方なく引きずり込まれることになっ
た。
家族が3人そろって伝道に出るようになると,私はフル回転した。炎天下
であろうと雪が降っていようと,坂の多い神戸市と明石市にまたがる区域で
自転車や単車で家から家への伝道を中心とした生活に没頭。
私は英語塾で生計をたてながら,神戸で最も活発な神戸市明舞会衆を監督
として牧羊(牧会)した。1980年代には夫婦共に正規開拓者として月に90時
間伝道し,研究生も毎月20人以上に及んだ。日曜日などは午前中の二つの集
会を扱った後,野外伝道を終えると,研究生たちとのマンツーマンの学びの
ために夕食抜きで深夜2時まで家庭訪問をするのが常であった。
特別に三つの目標を掲げて心血を注いだ。まず反対者のご主人たちを説得
し,組織に勧誘すること。次にキリスト教会をターゲットに伝道すること。
三つめに若者たちを活発な証人に仕上げることであった。
特に家から家で「クリスチャンですから結構です」と名のる方々には執勧
に訪問し,改宗させた。教会員ならば神の実在や聖書について同じ土俵なの
で,伝道しやすかったからだ。求道者の取り合いでは負けることはなかっ
た。まさしく妖刀村正の使い手のごとく,みことば「聖書に記されている神
のことば」の剣でキリスト教徒を切り倒しては慢心していた。教会であろう
と寺であろうと積極的に論争を挑んだ。近隣の教会の牧師たちからは言語道
断,恥知らずのまむしのように嫌われ,居留守で断られるようにもなった。
家族のメンバーを証人に取られた反対者の人々からは暴力を振るわれた
り,家に「息子を返せ」と罵倒しに来られたりもした。しかしそうしたこと
も無知ゆえになされる行為とみなし,みことぱにあるとおり迫害される者が
幸いであると慰め,決してひるまなかった。
13年の奴隷時代を振り返って187
次から次へとご主人たちをバプテスマに導くと,いつしか大きなファミリ
ーができあがっていた。会衆の中には体力が弱いせいか,あまり活発に伝道
できない信者にとって「岩村軍団」とねたまれるほど拡大。会場も収容でき
なくなり,神戸地方では最大の近代的な3階建て王国会館を現場監督として
建造。多くの若者が個人的な相談をもちかけ,自宅にはいつも若者たちが出
入りしていた。
証人はマインド・コントロールの結果,自分の肉親より信者仲間との絆の
ほうが強くなる。神の唯一の伝達経路と信じていたブルックリンの統治体や
日本の支部委員には個人的に親しい指導者たちもいた。私たち家族3人のこ
とを忠実な開拓者の模範であると評価を下し,組織紹介のブロッシュアーや
「ものみの塔」誌に写真入りで取り上げたりもした。
息子孝太は小学校でも長老の息子として模範的でなければならないため
に,多くの取り決めを順守。運動会の騎馬戦では「戦いを学ばない」という
証人特有の教理のため参加できなかったり,ことば遣いや服装ひとつをとっ
ても落度が許されなかった。小学1年生の時には,すでに皆の前で学級委員
長を投票で選びたくない理由を聖書から発表していた。
神戸には,各クラスに必ずと言っていいほど証人の子弟がいる。子どもた
ちは高等教育,クラブ活動,交遊関係が厳しく制限される。証人の一番の犠
牲者は子どもたち。監督であったばかりに孝太には本当に申しわけないこと
をした。当然のことながら,学校で異質な言動をする証人の子どもは「いじ
め」の対象となる。小学生の証人の10人中6人はいじめられっ子である。3
割近くは中学生ぐらいになると,親に学校に反抗的になり,長老の家庭訪問
を繁雑にさせる要因の一つになる。
長老は一人も脱落しないように目を光らせていなければならない。高校の
体育授業で柔道の受身の練習をすると,審理委員会が開かれ,追放処分にな
る。したがって体育授業で柔道を免除される高専などは証人の入学が多く,
機械科では学級生のほとんどが証人で占められてしまう現象も生じたことが
ある。
3 組織の実態
組織が出す3000以上の取り決め(戒律)に縛られている証人は表面とは違
18813年の奴隷時代を振り返って
って非常に窮屈な生活を送っている。さらに夢のような楽園を待ち望み,社
会の不幸な暗い部分に注目ばかりして現体制を嘆いているせいか,うつ病に
かかっている信者が多い。たくましい論客の証人が多い共同社会の中で,自
信を喪失しているおちこぼれのメンバーはうつ病になりやすいといえる。
活発でなくなり,落伍者のように批判されても,組織を離脱することはな
い。汚職公害,戦争の危険性,不法に満ちた世の中ばかり宣伝しているた
めに,いつしか世間を怖く思うようになっているためだ。13年間で私が知っ
ている脱落した証人の数は,病死や排斥を除くと5人しかいない。証人だけ
で無人島に住まないのは,ただ伝道という至上命令に従うゆえにすぎない。
組織という鵜飼いに操られる鵜のように,人々を勧誘してきては体がボロ
ボロになるまで働き続けさせる。人参を鼻面にぶらさげられて突っ走ってい
る馬と同様に,「ハルマゲドン(地球滅亡)の通過許可書」を得られると信
じて,がむしゃらに伝道活動を展開。さっそうと笑顔を絶やさず伝道する彼
らの後ろ姿は真実を物語っている。まるで重い鎖の足棚をひきずっている奴
隷のようである。
組織の奴隷となった証人にはもはや手を休めるゆとりはない。休日に家族
だけで旅行に行っても,伝道をしていない負目に落ち着かない。伝道以外の
ことに従事すると,極度の罪悪意識にかられる・午前中にバーゲンセールな
ど買い物などしているのを仲間の証人に見つかると,スコスコと顔を赤くし
て立ち去る。
毎月2回の伝道時間の報告を満たすためのマシーンに変貌していく。人間
味ある情愛などはなくなっていく。冠婚葬祭,誕生祝い,年賀状,投票,P
TA活動,自治会活動,慈善事業などにも関与しなくなる。
当然,家庭不和が生じる。証人の9割以上は家族崩壊の危機にさらされて
いる。「サタンの支配する世は終わるのよ」と絶叫する配偶者の変わり様に
多くはおろおろするか,暴力で阻止しようとする。力ずくでねじ伏せられな
いと,別居,離婚に発展。子どものために辛抱する忍耐強い未信者の夫がい
る家庭だけが,かろうじて形だけの家族関係を維持する。
もちろん,結婚・就職も個人の自由は許されない。すべては組織の指導に
従うように強要される。クリスマスツリーは異教に起源があるという理由で
家に置けば,排斥。全体主義体制の集団だから,落度,失敗に非寛容であ
13年の奴隷時代を振り返って189
る。
長老といえども聖書理解の自主性・主体性は皆無である。組織がお膳立て
した全世界共通の筋書きに従って、演壇から語るだけである。翻訳の稚拙さ
のため,新しい教理が把握できにくい場合,推測・憶測で伝達することは中
傷の機会を与えることになる。「おそらくこういうことだと思います」と個
人的見解を付け加えて言うことすら許されない。近隣の長老たちの問い合わ
せに,私は英語の原文から正確な情報を汲み取り,補足説明することもしば
しばあった。たとえ主宰監督であっても,中傷されると致命傷になる。
秘密主義も徹底している。私は,神戸大会地域監督の長老を裁く四人で構
成される審理委員会長老の一人として用いられたことがあった。機密漏洩の
罪で長老を降ろされたのである。アルコールを過度に好む長老が多い。言論
の自由が抑圧された国で,支配者階級にアルコール依存症が多いのと同じ現
象だ。主宰監督であったころ,私もウイスキーを一瓶飲み干しても平気であ
った。会衆の成員の前では一滴の酒も飲もうとしない姿勢は貫いた。その一
例からでも偽善的体質が明白。長老もロボット同様,組織のコントロールに
従って働く犠牲者なのである。
4 組織に対する疑問
妻カヨ子は開拓者として正直に伝道時間を報告したり,雑誌経路が多く毎
月200冊以上の配布を維持したりして,巡回区でも比類のない実績をあげて
いた。自宅に帰ると,多くの若者や仲間の出入りが激しく,もてなしで休息
の時間はなかった。まともに開拓奉仕を数年続ければ健康を損なう。腱鞘
炎,リューマチなどは開拓者の持病といっても過言ではない。
一目も二目も置かれている10年以上の開拓者の中には,偽って要領よく報
告する者も多いと,ほかの会衆の長老たちは嘆いていた。朝,数件家から家
に入るいなや,「研究(マンツーマンの教え)に行ってきます」と,姿を消
してしまい,集合時間になると戻ってきて,皆といっしょに解散。実際には
研究ではなく,話し相手がほしい,身寄りがなく寂しい生活者の家でダベリ
ングしているにすぎない。ベテラン開拓者にもなると,時間つぶしできる再
訪問家庭をいくつか持っており,聖書を開くこともなく,世間話に終始して
いるのである。
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正直さを美徳とする組織であるにもかかわらず,どこの会衆でも欺瞭の一
端が見受けられる。私は長老として,ずるい開拓者を容赦なく追及し裁き,
恨まれもした。
ニューヨークの統治体(トップ指導者)や日本支部の支部委員は,親しく
なってわかったことだが全然伝道しない。公正,愛を説く宗教にもかかわら
ず,指導者層は悠々自適の生活。末端には何よりも業を優先すべきとしてマ
インド・コントロールしておきながら,全くの偽善である。
カヨ子は模範であるようにと開拓奉仕に努めた。その結果,1987年6月に
は極限の状況まで伝道時間に没頭したため,体力が続かず入院するはめにな
った。視力が衰え,歩行すらできなくなっていた。それでも開拓奉仕を続け
るように私は励ました。伝道できることが証人の喜びの源と信じ切っていた
から。
入院していても妻は開拓者として伝道時間を報告するために,病院の中で
雑誌配布に専念。病院は治療するところというより奉仕場所であった。病院
では回復できないので,大阪のミルク療法に行った。そこで一命をとりと
め,自宅で療養するようになった。長老の配偶者が寝込んだというので会衆
は食事を届けたり,身のまわりを世話したり,血のつながった身内にでもで
きない愛あふれる配慮を示した。
しかしきちんと世話をしてくれる姉妹たちの動機が伝わってきた。決して
純粋な愛からではなく,取り決めとして従っているにすぎないこと,長老に
立派なクリスチャンだと思われたいという意外な面が見えてきたのである。
私は看病するために昼間の伝道時間を削るようにした。ところが,家で妻
の回復を祈り,『新世界調聖書を通読するにつれて,初期のころに抱いた
疑問がよみがえってきた。「1914年にイエス・キリストは再臨されたのは真
理だろうか」「神のみ名はエホバなのか」「伝道のテーマは王国でよいのか」
などの重要なテーマであった。
エホバの証人は,組織を擁護する聖句に精通しているものの聖書全体を通
読したり,みことばをバランスよく理解したりはしない。一方通行の押しつ
け解釈に取り残されないために,必死についていくので精一杯なのである。
週に五つの集会で司会をする者は,組織のご都合主義の教理の変更に気づき
やすい立場にある。しかし長老たちは,組織からの洪水のように押し寄せる
13年の奴隷時代を振り返って191
情報を落度なく伝達するのに神経を磨り減らしているのである。
5 離脱への決意
私は聖書通読を会衆の成員に強調しておきながら,13年間聖書を通読した
ことがなかった。ところが驚いたことに,親しい長老たちも同様で,13年間
に聖書を通読した証人に出会ったこともなかったのである。
1988年5月滋賀県で催された長老だけの王国宣教学校に泊まり込みで出
席。巡回区の代表として牧羊の体験を語る割り当てもあった。プログラムの
内容は,会衆で起こるさまざまな問題をどのように処理するか,組織のタガ
が緩まないように懲らしめの方法はどうするかについてほとんどの時間が費
やされた。聖書は一度も開かれずじまい。強調されたのは協会の出版物の見
解にいかに忠実に会衆の成員を従わせるかばかり。
表面では愛を説きながら,実情は恐怖政治にほかならない。日本の戦前の
全体主義を思わせる権威主義一上官の命令には,絶対に逆らえないように徹
底する。伝道に出られなくなったうつ病・年配の証人に対する仕打ちは悲劇
としか言いようがない。使い捨てカイロ同様である。このとき私は,非情極
まる組織の正体がわかった。
それでは,どこへ行けばよいのだろうか。家族にどのように話せば理解し
てもらえるのか。会衆の成員にどう伝えたらいいのか。大きな課題を背負っ
て私は帰途についた。
21歳の夏,北海道を放浪していた際に見た光景をまざまざと思い出した。
駅前でふろしきづつみを置いて,ひとりで路傍伝道を始めた宣教師の姿を。
だれも聞いていなかった。「そうだ,キリスト教会でも伝道はちゃんとして
いる」と衝撃のように全身の血管を駆けめぐった。エホバの組織だけが王の
王,主の主であられるキリストを宣く伝えていると自負しているのはひとり
よがりな考え方である。
キリスト教会攻撃のために約10年前に見たウィリアム・ウッド宣教師の本
を捜し出して読み直してみた。さらに,ものみの塔の教えというサングラス
をはずして読むと,聖書の内容がハッキリとしてきた。真の神のみ名は「主
イエス・キリスト」。神は,組織を用いなくともみこころを成し遂げる方で
ある。救いは業によるのではない。サタンと信じ切っていたキリスト教会こ
I9213年の奴隷時代を振り返って
そが真理を擁護している。あれほど毛嫌いしていた十字架を尖頭にいただく
教会に対する敵意は和らいでいった。
しかし一枚岩の組織を出ることには不安や恐れもあった。39歳になるまで
親戚や友人の忠告も無視し,すべて挟を分かってきた。大海原に小船で漕ぎ
出す大胆さが求められた。特にクリスチャンとしてキリストにつながるには
どうしたらいいのか,次々に課題が前にたちはだかってきた。知性において
は組織の矛盾を指摘できるが,はたして信仰の土台は何かと模索が始まっ
た。
がむしゃらに歩んできた道は実はサタンに踊らされていたものであると気
づくと,衝撃のあまり夜眠れない日々が続いた。サタンから命を奪われるの
ではないかと過敏になった。しかし宣く伝えた人々に対する責任,特に家族
や教え子や何の疑問も抱かずについてきている会衆の子どもたちの将来に対
する恐ろしさを考えると,地下活動に踏み切らればと使命感が燃え立った。
6 地下活動
地下活動に踏み切る主要な動機は,13年間奴隷のように働いたにもかかわ
らず私たちをだましてきた組織への抵抗であった。孤立無援だった。勇気を
奮ってウッド宣教師に電話連絡もし,奉仕の僕や多くの弟子を生み出してい
る開拓者にアプローチを始めた。
正規開拓者の長老という立場を維持しながら,集会のプログラムでは実演
を用いて成員に聖書通読をすすめた。野外伝道の後,個人的に近づいては聖
書から矛盾点を質問し,自分で考えるように促す心もとない作業。背教者か
らの影響を防ぐ注意深さでは比類のないグループだからである。組織批判を
すればたちまち通報されるから,慎重さが求められる。それで聖書を愛する
信頼できる仲間にだけ薄氷を踏む思いで伝道を始めた。
すると多くはこのように反応した。「兄弟は,ハルマゲドン前の霊的戦い
でサタンに欺かれているのでは……」「人間は不完全だから知性で考えても
理解できないことだってあるわ」と,当初だれひとりとして素直に同意する
者はいなかった。
救出活動は命がけだった。そこで遺書を家に残して説得に出かけた。妻や
息子の,組織に対する信頼はなかなか崩れそうにもなかった。遺書を見つけ
13年の奴隷時代を振り返って193
られ,事態の深刻ざにカヨ子と孝太は呆然とした。内容は次のとおりであっ
た。
「愛する孝太へ。真理だと信じてきたものみの塔組織は実は偽りの宗教で
ある。お父さんが収集した出版物をいつか世に明らかにしてください。キ
リスト教会こそ永遠の命に導くことを信じている。父より」
この事がきっかけとなり,証人は犠牲者であることをあかしし,家族に受
け入れてもらうことができた。3人がそろって間違いを確信したのは6月後
半であった。
続いて,6年前に3か月近くにわたって討議した近くのキリスト教会の牧
師にチャレンジしてみたくなった。ピリピ2章6節のギリシヤ語についての
神学者の注解の不一致についての理由を問うてみたかった。証人にとってみ
れば「サタンの巣屈一禁断の場所」に行かねばならない。
まず神学校を訪問。証人の伝道とみなされ,門前払い。数日後,直接教会
に足を伸ばしたところ,2階へ招き入れてもらえた。以前の高慢な自信満面
の様子でないのを,主が牧師に示されたとしか言いようがない。
早速ギリシャ語の勉強が始まった。論争好きの証人と教理について話し合
えば,押し問答になることを洞察されたのだろう。ギリシャ語の専門家であ
る牧師との週1回の学びの時は大きな安らぎをもたらしてくれた。キリスト
教会の牧師は偏った断片的な知識しか持ち合わせていないという先入観は,
払拭されていった。牧会者の失われた羊に対する気遣いは地下活動を押し進
めるうえで大きな励みとなった。
3か月後には,組織の預言の間違い,教理の間違いについて賛同する成員
も50名を超えるようになった。多くは脱会に賛同しながらも,仲間から背教
者の烙印を押されることに極度におびえた。
通例詰め寄ってこう言い放たれた。「ハルマゲドンはいつ来るのか?生
き残れるのか?」「どうして愛ある神が地獄を」「聖霊は神か?」「どの教会
が正しい教会か?」などは最後まで証人の葛藤の中心となるテーマであっ
た。これらの質問の答えについては,ものみの塔側の‘‘三つ子の魂,百ま
で”式の教育で教理が思いに刻み込まれている。反復教育の後遺症として,
それぞれ裏づけとなる聖句に至っては,いくつもいくつもアウトプットでき
るから厄介である。
I9413年の奴隷時代を振り返って
ウッド宣教師に何度も足を運んでいただき,研究会にも参加していただい
た。長老の立場で多くの新しい求道者の家をウッド宣教師とともに訪問し,
聖書から討議した。離脱に成功したエホバの証人たちに一番インパクトを与
えたのは,ウッド宣教師の柔和な特質と謙遜さであった。彼らが回心する最
大の糸口は教理面の知識ではない。クリスチャン人格である。現在熱心なク
リスチャン家庭を築いておられるA兄弟ご夫妻も,B姉妹たちも何の疑問も
抱かず組織の間違いを確信された。
7 断絶願い
8月,組織の間違いを確信したS兄弟・奉仕の僕K兄弟(現在はキリスト
教会の牧師)は協会から和歌山の開拓に任命された。協会から必要の大きな
地へ任命されるのは,組織の信頼厚いエリートだけである。
10月両名の地下活動が発覚。震源地に対する憶測が流言飛語のように飛び
交った。詮索する矛先がこちらに向けられたのは翌日。いかに金太郎飴の組
織かを思い知らされた。
統治体や海老名の支部委員とパイプラインをもつ長老の反逆というのは青
天の騨震であり,彼らには信じがたいことであった。懇意にしていた長老た
ちが当初は何かの間違いと思い,弁護のために情報の確認に走り回った。
「動転した近隣の長老たちが大きな間違いをした。明舞会衆の同僚の長老の
落度が追い詰めたのではないか」と,その長老が審理委員会にかけられるは
めになった。彼さえ裁かれれば,私の反組織的活動の疑念に終止符が打たれ
るとみなしたからである。
和歌山のS兄弟・K兄弟二人は現地の長老たちに詰問されたり,限界にま
で追い詰められていた。玄関を釘で打ち付け,家宅侵入を防がねばならない
事態も生じた。電話の向こうから救援を求めてきた。すべてが露見し,もう
これ以上地下活動を継続することは不可能になっていた。
そこで10月19日,家族3人と他の4人の姉妹たちは急遥断絶届けを提出。
20日救出のために2トントラックを伴い,4台で出発。エホバの証人は高速
でも制限速度をかたくなに守るが,この時ばかりは超スピードで向かった。
妨害にあうこともなく,神戸に連れ戻すことができた。
2日後に会衆で断絶の発表があった。日本で最初の断絶発表。血縁家族以
13年の奴隷時代を振り返って195
上に親しく交わっていた友たちとの別離の始まりである。その日以降同じ地
域に住んでいながら,証人たちは私たちと顔を合わせれば,恐怖心に怯えた
ような表情で足速に蜘蛛の子を散らしたように逃げる。
マインド・コントロールの最大の特徴は,以前交わっていた仲間に対する
見方である。統一協会や新興宗教に捕らわれた場合,次のように質問してみ
ると判明するはずである。「あなたは自分から出ていった人たちと今でもお
付き合いをしますか」と。つまりマインド・コントロールされている人は,
離脱した人々との交際をいっさい絶つように命じられているのである。
5か月にわたる薄氷を踏む地下活動の結果,やっと肩の荷を下ろすことが
できた。
8 転向
10月23日,初めて出席した近所のキリスト教会は,英雄の凱旗のように私
たちを受け入れてくださった。その日,私とS兄弟の二人がイエス・キリス
トを信じ受け入れた。もう時間に追われて伝道やものみの塔の勉強をしなく
てもすむようになった。元証人たちは組織から抜け出て,主の恵みのうちを
喜びにあふれて歩むことができるようになった感動を感謝していた。
しかし私の場合,13年間どっぷりつかっていたエホバの証人の気質はなか
なか抜けなかった。まず聖書の注解書の個人研究,福音を家から家に伝える
こと,求道者との定期的な学びの時間など証人時代と変わらなくいそしん
だ。ただベクトルが変わっただけ。
続いて1か月にわたり地下活動のメンバーたちがぞくぞくと断絶願いを提
出して合流する喜びを得た。組織から抜け出た人数は30名を超えた。情のつ
ながりを優先したため,組織からの離脱に失敗したメンバーたちと訣別せざ
るを得なくなったのは痛恨の極みだった。
残念なことに,元証人の中には,熾烈を極めた業・取り決めから解放され
たものの,新しい人生の目的が明確に持てず,廃人と化す者たちも出てき
た。精神的に不安定になってしまい,笑顔が絶えてしまった。かつてあれほ
ど生き生きと輝いて活動していた様子がうそのようであった。なまじっか組
織の偽りを告知しなければ,こうも無気力にならなかったのではないかと消
極的な見方に陥り,私は自信を喪失した。私自身も知性的には信仰を持てて
I9613年の奴隷時代を振り返って
も,かたくなな心が打ち砕かれず喜びが薄れていった。
1989年3月には10名を皮切りにバプテスマを受ける恵みに浸った。
ウッド宣教師が,ある教会での異端セミナー後,家に寄ってくださり,私
たち夫婦のために祈ってくださった。そして教会を紹介してくださった。
応接間に通され,お会いしたその教会の牧師は放蕩息子を迎え入れる父親
のように愛をもって訓戒を与えてくださった。人には律法的にみことばで悪
行を今まで戒めたりしてきたが,自分の罪をみことばから徹底的に指摘され
たのは生まれて初めてのことだった。牧師は聖書に精通しておられ,みこと
ぱを正しく扱われる点で比類のない達人であった。
「10回罪を犯した人と1回罪を犯した人ではどちらが御国に入りやすいで
しょうか」と質問され,ドキッとした。「もちろん清い,義なる神さまはど
ちらも受け入れなさらない。しかしキリストの血潮を通して一度も罪を犯し
たことのない者として無代価で義と認められる」と語ってくださり,心情の
中心が揺さぶられた。十字架に対する信仰が芽生えた。
「ああ,主は高慢な私のためにこのみことばの剣客を巡りあわされたのだ
な」とカヨ子は喜び,主に感謝した。謙遜になる術を学び,霊・魂・体が打
ち砕かれた。
すべての罪を告白し,涙して悔い改めることができた。その教会で,初め
て真の悔い改めができ,あわれみの泉で洗い清めることができた。カヨ子も
円満に転籍ができ,大阪の教会に通うことができるようになった。日曜礼拝
のメッセージは力強く,生きる目的が明確になった。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きている
のではなく,キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が,この
世に生きているのは,私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子
を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2:20『新改訳聖書』)。
賛美礼拝,礼拝に応答する聖徒たちの力強い祈りは大きな励み,勇気を与
えてくれた。教会まで片道約2時間かかる。渋滞の時は4時間半かかること
もある。しかし生きておられる神の臨在なさる教会で,共に賛美・礼拝でき
るのは恵みである。
とりわけ,1992年に,霊的に満たされた喜びと,愛と力とつつしみの霊に
導かれて生活できるようになった勝利を妻と分かち合えたことは感謝なこと
13年の奴隷時代を振り返って197
である。ようやく罪の性質に打ち勝つことができるようになった。正しいこ
とをしている時に平安と喜びがあるように,今の私たち夫婦には限りない主
の恵みと憐れみが注がれていることを感じる。
1994年2月からは,JR朝霞駅でひとりで路傍伝道を始めた。かつて多く
の人を誤導した区域を主が示された。日曜日以外毎日約2時間福音を注ぎ出
す管として働ける恵みを感謝している。3月から自宅を開放して,週2回,
集会がもてるようになった。
不可能を可能になさる,きのうもきようもいつまでも,同じ主イエス・キ
リストの恵みにあふれている。ハレルヤ!
I9813年